「すり減った膝の軟骨は、元には戻らないのですか?」
変形性膝関節症の患者さんから、外来でよく聞かれる質問です。
現在の変形性膝関節症の治療では、運動療法、薬物療法、関節内注射などによって痛みを軽減し、進行した場合には人工膝関節置換術などの手術を検討するのが一般的です。
一方で近年は、
「痛くなった膝を治療する」だけではなく、「軟骨が壊れていく過程そのものを止めることはできないか」
という研究も進んでいます。
その中で2026年9月、大阪大学などの研究グループから非常に興味深い研究成果が発表されました。
研究では、9型コラーゲン(Collagen IX:Col9)を作るためのmRNAを関節内に投与することで、軟骨の構造と力学的性質を保ち、変形性関節症の進行を抑えられる可能性が示されました。
ただし、最初に重要な点をお伝えします。
今回の研究はラットを用いた研究であり、人に対する治療として確立されたものではありません。
また、「mRNAを投与すると、すり減った軟骨が元通りに再生する」という研究でもありません。
今回は、変形性膝関節症を日常的に診療している整形外科医の立場から、この研究がなぜ興味深いのかを分かりやすく解説します。
この記事でわかること
- 変形性膝関節症で軟骨に何が起こるのか
- 9型コラーゲンとは何か
- mRNAを使ってどのように軟骨を守ったのか
- 「軟骨再生」と今回の研究の違い
- この研究が将来の膝OA治療にどうつながる可能性があるのか
変形性膝関節症では、軟骨に何が起きている?
膝関節の表面は「関節軟骨」という非常になめらかな組織で覆われています。
関節軟骨は、膝に加わる荷重を受け止めながら、関節を滑らかに動かす重要な役割を担っています。
変形性膝関節症では、この軟骨の構造が少しずつ壊れていきます。
進行すると、
- 軟骨が薄くなる
- 関節の隙間が狭くなる
- 骨棘ができる
- O脚などの変形が進む
といった変化が起こります。
しかし今回の研究で特に重要なのは、レントゲンや組織で明らかな変化が見えるより前から、軟骨内部では力学的な異常が始まっていることが示された点です。
軟骨が見た目に壊れる前から、変化は始まっている
研究グループは、変形性関節症が明らかになる前の「pre-OA(前変形性関節症)」と呼べる状態に注目しました。
軟骨を詳しく調べたところ、目立った組織学的な変性が起こる前から、
- 弾性率の低下
- 粘弾性の低下
- 2型コラーゲン線維の配列の乱れ
が起こっていることが分かりました。
つまり、
「軟骨がすり減って見える前に、軟骨の内部構造と力学的な強さが先に壊れ始めている」
可能性があります。
この初期段階に介入できれば、本格的な変形性関節症へ進む前に病気を止められるのではないか。
これが今回の研究の重要な発想です。
注目されたのは「9型コラーゲン」
今回の研究で重要な役割を果たしたのが、9型コラーゲン(Collagen IX:Col9)です。
軟骨には2型コラーゲンを中心としたコラーゲン線維のネットワークがあります。
9型コラーゲンは、このコラーゲン線維構造をつなぎ留め、軟骨の構造を安定させる役割を持つタンパク質の一つです。
大阪大学の研究グループは、9型コラーゲンの減少や機能不全が、軟骨のコラーゲン構造を崩し、その後の変形性関節症の進行につながる重要な「最初の一歩」になっている可能性を示しました。
大阪大学は9型コラーゲンを、軟骨構造を支える「分子のかすがい」のような存在と説明しています。
mRNAを使って9型コラーゲンを作らせる
そこで研究グループが利用したのがmRNAです。
mRNAは、細胞に「どのタンパク質を作るか」という情報を伝える分子です。
新型コロナウイルスのmRNAワクチンによって広く知られるようになりましたが、現在ではワクチン以外にもさまざまな疾患に対する応用研究が進められています。
今回の研究では、9型コラーゲンを作るための情報を持ったCol9 mRNAを作製し、ポリマーベースのナノミセルという運搬技術を使ってラットの関節内へ投与しました。
その結果、pre-OA状態の軟骨で、
- コラーゲンネットワーク構造が健康な状態に近づく
- 軟骨の力学的特性が維持される
- その後の変形性関節症の進行が抑えられる
ことが示されました。
「軟骨を再生した」という研究ではありません
ここは非常に重要です。
今回の研究を、
「mRNAを注射すると、すり減った軟骨が再生する」
と理解するのは正確ではありません。
むしろ今回の研究は、
「軟骨が本格的に壊れる前の段階で、その構造を修復・維持し、病気が成立することを防ぐ」
という考え方です。
すでに大きく軟骨が失われ、関節変形が進行した膝を元通りにしたわけではありません。
この違いは非常に重要です。
「疾患インターセプション」という新しい考え方
今回の研究では、「Disease Interception(疾患インターセプション)」という考え方が示されています。
これは、病気が完成してから治療するのではなく、
病気が成立する途中の段階で介入し、その後の進行を止める
という考え方です。
現在の変形性膝関節症では、多くの場合、
痛みが出る
↓
薬やリハビリ、注射などを行う
↓
進行すれば人工関節手術を検討する
という流れになります。
しかし将来的には、
「軟骨が壊れ始めた段階を見つけ、その段階で病気そのものを止める」
という治療へ変わっていく可能性があります。
人工関節を専門とする立場から見ると
私は日常診療で、進行した変形性膝関節症に対して人工膝関節置換術などの治療を行っています。
人工膝関節置換術は、進行した変形性膝関節症に対して非常に有効な治療方法です。
一方で、
そもそも人工関節が必要になるところまで病気を進行させないことができれば、それに越したことはありません。
これまでの膝OA治療は、どうしても「痛くなった後」「変形した後」に治療することが中心でした。
今回の研究が興味深いのは、
関節が明らかに壊れる前の段階を治療対象にしようとしていること
です。
もし将来、人でも同じような効果が確認されれば、変形性膝関節症の治療のタイミングそのものが変わる可能性があります。
一方で、大きな課題もあります
今回の研究は非常に興味深いものですが、まだ研究段階です。
今回確認されたのはラットモデルでの結果であり、人の変形性膝関節症に対する有効性や安全性は分かっていません。
実際に人への治療として使用するためには、
- 人でも十分な効果が得られるのか
- 安全性に問題がないのか
- どの程度の量を投与するのか
- 効果がどの程度持続するのか
- 繰り返し投与が必要なのか
- どの段階の膝OAを治療対象とするのか
- pre-OAをどのように診断するのか
など、多くの課題があります。
特に「症状やレントゲン変化が出る前の患者さんを、どうやって見つけるのか」は、この治療概念を実際の医療に応用するうえで重要な問題だと思います。
変形性膝関節症の治療は「痛みを取る」から「進行を止める」へ?
現在、変形性膝関節症そのものの進行を確実に止める治療は確立されていません。
そのため現在は、
- 運動療法
- 体重管理
- 薬物療法
- 関節内注射
- 装具療法
- 手術療法
などを患者さんの状態に応じて組み合わせています。
しかし今後、mRNAなどを利用して病気そのものの進行に介入することができるようになれば、
「症状を抑える治療」から「病気そのものを成立させない治療」へ
変形性膝関節症の治療が変わっていく可能性があります。
まだ研究段階ではありますが、今後の発展に注目したい研究です。
まとめ
大阪大学などの研究グループは、変形性関節症が明らかになる前のpre-OA段階で、軟骨のコラーゲン構造や力学的性質がすでに低下していることを明らかにしました。
さらに、9型コラーゲンをコードするmRNAをラットの関節内へ投与することで、軟骨のコラーゲン構造や力学的特性が維持され、その後の変形性関節症の進行が抑えられることを報告しました。
重要なのは、
「失われた軟骨を再生する」のではなく、「軟骨が壊れる最初の段階に介入する」
という発想です。
現時点ではまだラットを用いた前臨床研究であり、人での有効性・安全性は確立されていません。
それでも、
「進行した関節を治療する医療」から「進行する前に病気を止める医療」へ
変形性膝関節症の治療が変化する可能性を示す研究として、非常に興味深い報告だと思います。
参考文献・出典
- Zhou J, Hu J, Yada E, Zhong J, Terai Y, Winlove CP, Chen J, Shibata Y, Itaka K. Restoring pre-osteoarthritis cartilage matrix integrity via Col9 mRNA halts osteoarthritis progression. Science Advances. 2026;12(36):eaef9739. doi:10.1126/sciadv.aef9739.
- 大阪大学 感染症総合教育研究拠点(CiDER). 「軟骨が壊れ始める“最初の一歩”をメッセンジャーRNA(mRNA)で食い止める―『疾患を治療する』から『疾患を成立させない』変形性関節症治療へ―」2026年9月3日.
※本記事は医学研究に関する情報提供を目的としたものであり、未承認の医薬品・治療法を推奨するものではありません。今回紹介したCol9 mRNAを用いた治療は研究段階であり、人の変形性膝関節症に対する有効性・安全性は確立されていません。
ご相談・診療について
当センターには福知山市を拠点に、北近畿エリア(綾部市・京丹後市・宮津市・与謝野町・舞鶴市・豊岡市・養父市・朝来市・丹波市)からも多数ご来院いただいています。
変形性膝関節症について、
- 「今の治療を続けていてよいのか」
- 「まだ手術は早いと言われたが、痛みが強い」
- 「人工膝関節手術を考える段階なのか知りたい」
など、治療方針についてお悩みの方はご相談ください。
この記事は京都ルネス病院人工関節センター長、整形外科専門医・人工関節認定医 藤井嵩が執筆しています。
